心のゴミは
石田ひかりさんが主演だったNHK連ドラ「ひらり」でこんな場面がありました。
主人公のお姉さん、みのりちゃんが二人のお医者さんからプロポーズされます。苦しむ彼女にまず一人の男性がこう言うのです。「今の君の心は流れの悪いドブ川みたいだ。僕と一緒にゴミを拾って元のきれいな流れを取り戻そう」と。
するともう一人の彼は「君の心がゴミだらけでもドブ川でもそれでいいよ。好きなだけそうしていい(僕が一緒にいる)」と。
挿絵は法友である美馬さんのAnカレンダーより転用させていただいています
私が味わう苦しみや悲しみ、それはまるでゴミの詰まった川でもがき苦しんでいる姿のようです。そのゴミとは私の持つ自己中心的な思い、それを捨てきれない心、煩悩ともいえるでしょう。この川のゴミを一つ残らず拾い、もとの清らかな流れにすれば救われる、と言われたら・・・きっとたくさんのゴミに愕然とし、それが無くなるまでの気の遠くなるような時間に絶望するに違いありません。一つ拾っても、次から次へと新しいゴミ(悲しみや苦しみ)があらわれてきます。汚れたままでいい、そのままでいい、私が一緒にそこにいてあげるから安心して、とおっしゃるのが阿弥陀さまです。
あなたの辛さを知ってるよ、だからほおっておけない、あなたを必ず救うのだと誓ってくださいます。
そのお心に出遭い包まれていることに気づけたとき、私達は悲しい身のそのままで腹一杯の安心を頂けるのでしょう。
歎異抄に「往生にはかしこきおもひを具せずして、ただほれぼれと弥陀の御恩の深重なることつねはおもひいだしまいらすべし」と記されています。私達の往生の道は凡夫(弱い私)の小賢しい考えではかるものではなく、ただ阿弥陀さまの「まかせてくれよ」の願いに「おまかせ」することだったのですね。
さて、主人公のおねえさん、みのりちゃんはどちらを選んだのでしょうか。