仏さまの願い
(一言法話)

はぁ極楽極楽

2024.07.04

 私の楽しみは連れ合いと行く温泉です。あの湯船に浸かった時の心地よさはなんとも言えないものがあります。けれどその時は「はぁ極楽極楽」と、とっても幸せなのですが30分も入っているとのぼせて苦しくなりますよね。このように私が気持ちいい、幸せだと考えているものはともするとすぐに消えて行くようなのです。

挿絵は法友の美馬さんのAnカレンダーより転載

 

 私たちは「苦しみ」の対極にあるものが「幸せ」とか「楽しみ」であると思いがちですが、そのような「幸福感」は一時的なものですよね? 例えば「美味しい」が「食べ過ぎて苦しい」になり「太ってしまった」と悩みに変わるように、その「楽しみ」はどうも次の「苦しみ」の原因となることもあるようです。

本当の「変わることのない幸せ」ってあるのでしょうか。

 

 お釈迦様は「人生は苦なり」と私たちの人生そのものが苦であると悟られました。自分の人生は思い通りになるはずだとどこかで思っていた私が「こんなはずじゃなかった」と言う暗闇に落ちてしまいます。その原因は「幸せ」を「自分の思い通りになること」と勘違いしていることではないでしょうか。

 お釈迦様が教えて下さったのは阿弥陀さまの願い、それは光のように私の心の暗闇を照らしてくれます、暗闇を破ってくれるのです。私に私の苦悩の原因を誤魔化さずに気づかせて、それを受け止めて生きる厳しさと力をくれます。

私たちは生きている限り何かの苦しみから逃れることは出来ません、一旦苦しみがなくなっても(問題解決しても)また次の苦しみが表れてきます。嫌だけど苦悩は消えることはない、悲しいけれど消えないのです。

 

 阿弥陀さまが私たちに向けられた願いは、苦しみを消して私が救われるのではなく、苦しみがあるまま、そのままのお救いなのです。それを「摂取不捨(せっしゅふしゃ)(逃げるものを追いかけて救いとる)」してくださるのですから、私はこのお慈悲から逃れることも出来ませんね。

 

だから、つらいけど幸せです。

幸せでうれしいけど、やっぱりしんどいです。

それでいいんです。