おかえり(お浄土その2)
若い頃に出遭った方の話です。彼には結婚を約束した女性がいましたが、その女性は悲しい事に交通事故で亡くなります。彼は絶望し、仕事にも行けずただ悲しみの中で部屋に引きこもるようになりました。
彼女の笑顔を思い出しては涙し、思うことは・・・・「もう一度会いたい」 ただそれだけでした。
どうすればもう一度会うことができるのか・・・? (自分も命を絶てば天国で会えるのではないか) と考えるようになってしまいます。
彼はその場所を、彼女と新婚旅行に行こうといつも話していた土地で・・と思い、当然ですが周りの人に何も告げずにその場所へと出かけました。
しかし数日経ってもなかなか決行することができません。今日こそは、今日こそはと思いましたがどうしても思い切ることができなかったそうです。そのうちに心が落ち着いてきたのか、その土地の美しい光景が次第に目に入るようになり、そこにいる鳥などのいのちが輝いて見えてきました。
その時に彼は家を出てから初めて、お父さんお母さんのことを思ったのだそうです。きっと心配しているだろう、怒ってるだろうな、と。
彼は思いとどまり帰宅することを決めますが、今度はどんな顔をして帰ればいいのかと悩みます。そうしているうちに自宅に到着してしまいました。「ただいま」と帰れれば良いのですが、勇気がでません。その時何かを感じたのか、お母さんが玄関を開けました。ハッとなる彼、それを見つめるお母さん。どれほどの時間があったのかわかりませんが、先にお母さんが口を開きます。ニッコリと微笑み、目からは涙を流しながら・・・
「おかえり、きつかったね」と言ってくれたのです。
彼はお母さんの胸で泣いたそうです、子どもの頃のように大きな声をあげて泣いたのだそうです。
この話を聞かせてくれたあと彼はこう言いました。「帰るところのない旅って本当につらいな。お袋がさ、おかえりって、つらかったねって・・・俺には帰るところがあったんだなぁって思ったんだわ」
どこにいるのかわからない彼のもとに、きっとご両親の心配は届いていたはずです。我が子の無事を祈り「帰ってきてくれよ」と願わずにはいられない親の思いはいつでもどこにいても届いていたはずなのです。
それを受け取る側、彼の受信機は壊れていたのかも知れません、それでも一方的にでも願わずにはいられなかったご両親でした。
私のいのちの旅の帰るところを「お浄土」と聞かせてもらいます。お浄土とはまさしく帰る家、還ることのできる場所です。そこは私を案じてくれている仏さまの世界です。その仏さまは私がその願いに気づかなくても、たとえ背を向けて逃げて行こうとも追いかけて救い取って離さないとお誓い下さる仏さまです。そのおはたらきを「摂取不捨(せっしゅふしゃ)」と言います。
お浄土は今、ここに、私の上に届けられている阿弥陀さまの根本の願いの世界ですから、その願いと共にいのちを歩みながらやがて「ただいま」と還らせてもらう時、先に往生された大好きだった方々がニッコリと微笑み「おかえりっ、よく頑張ったね」と言ってくれるのです、有難い事です、ほっこりと嬉しくなります。